日本で知られる「タレント」という言葉は、新約聖書(原語はコイネーギリシア語)の訳語では「賜物(たまもの)」となり、"天与の才”といった意味だ。
思春期に人と自分を比べることを覚え、自分自身を見失った青春期を送る中、不思議と自身の才を覚える出来事があったことを思い出す。
わたしがミッション系高校でイエス・キリストと出会い、洗礼を受けてからのこと、母がわたしに自分の悩みを語るようになった。
すなわち、応答できるのである。
むしろ、訊かれることで、わたしの内なる答えが、引き出された。
答えは問いと表裏一体ということか。
プラトンによる『対話』の意味とも言えようか。
そして今日改めて振り返って思ったのは、人がわたしにそうした問いを投げかけるのは、きっと、わたしに聞けば答えられそうに思えたからではないかということだ。
つまり、わたしのタラントの一種に、キリストとつながっていることによって、聖霊の示しを受けるということがあるかと思われる。
主がわたしに答えさせたい問いは、わたしの処に導かれるということだろう
